2008/09/21 (Sun) 香港旅行記(5)
2008/08/20 (Wed) 香港旅行記(4)
2008/07/30 (Wed) RENDEZVOUS POINT
2008/06/28 (Sat) 香港旅行記(3)
2008/06/17 (Tue) 香港旅行記(2)

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“掲示板や標識からわかること”
エアポートバスの天井部には電光掲示板が備え付けてあり、次に停車するバスストップが逐一表示されるようになっている。そればかりか、車内ではバスストップ付近のホテルやゲストハウスの名前も同時にアナウンスされるので、初めて香港を訪れた人間でもどこで降りるのかまず迷うことがない。もちろん、このように逐一次の停車バスストップが電光掲示板に表示されたり、ホテル名がアナウンスされたりするサービスがあるのは、空港からバスに乗る乗客の多くが観光客だという(ビジネス上の)事情に起因するのだろう。しかし、初めて香港を訪れた旅行者であり、部外者であるはずの俺が、ここまで居心地の悪さを感じないというのも面白い。エアポートバスの中に座っていると、この手のサービスがまさに自分のような部外者に向けられている気すら覚える。大きな二階建てバスの片隅にひっそり座っていること自体、孤独は孤独なのだが、自分がこの場所に属していないという時に感じる、「嫌な感じ」はあまりない。
これは、香港という街が「部外者=ストレンジャー」の存在をはじめから前提としているところだからなのか。特に、ホテルやゲストハウスがしつこくアナウンスされるあたりに、「借り宿」への滞在が常態化したストレンジャーへの配慮が感じられる。

知る限りでは、アメリカの西海岸の一部の都市やインドのバスには、電光掲示板で次のバスストップ(ましてや周辺のホテル)を知らせるサービスはない。アメリカ(確かサンフランシスコかサクラメント付近を走るバスだった)では、バスに乗りながら自分が今どこにいるのかまったくわからなくなり、かなり焦った記憶があるし、インドでは地図を握り締め、今自分がどこいるのかを一生懸命確認しながらバスに乗った覚えがある。
一般的には、このような違いはサービスの水準の違いとして片づけられてしまうかもしれない。香港や東京のバスは親切で、サービスの水準が高いからこそ旅行者も利用しやすいのであって、俺が行ったアメリカやインドの都市ではサービスの水準が低かったのだと。

しかし個人的には、掲示板や標識の充実度は、その土地のサービス水準を表しているだけでなく、「ストレンジャー」の多さを測る指標ともなるのではないかと考えている。その土地に精通した人間には掲示板や標識など必要ない。土地勘があれば、そんなものをみなくても十分に生活していけるからだ。このことは逆に、何かを逐一標識や掲示板のかたちで明示しなければならない土地には、強固に根をはって生きている人間が少ないということを表しているのではないか。
80年代の初頭まで、中国(大陸)から密航した人間は誰でも香港の居住権を得ることができたという。大陸から仕事を求めてきた人。戦争難民。台湾と縁がなかった国民党支持者。イギリス人。インド人。アフリカ大陸からやってきた人々。多くの旅行者やビジネスマン。数多くの人が、様々な理由で香港を訪れ、移住した。現在香港に住む人々の多くはこのようなドリフター(流れ者)達の子孫なのだ。掲示板や標識の充実っぷりは、香港の移民の多さと大いに関係しているのだと思う。このことは、香港では標識そのものが一種の「名物」にまでなっていることが如実に物語っている。男人街(ナムヤンガイ)のナイトマーケット等で、香港のストリートの名前が書かれた「標識マグネット」が大量に並べられているのを見たことがある方も多いだろう。

窓から見える高層ビル群と、借り宿を転々とするドリフター・ストレンジャー・移民・旅行者。一見奇妙な組み合わせだが、この頃にはこれがしっくりきていた。
コンクリートで固められた都会の街並みがよく砂漠に例えられるように、香港にもこの比喩はよく当てはまる。農耕を行うことができない砂漠の民の生活が必然的に移動式になるのと同様に、コンクリートが敷き詰められた都市の「砂漠地帯」では、とどまる場所の多くが「借り宿」となる。そして、このような都会の砂漠にこそ、その土地に根を張らず、「人生=旅」感を持たざるを得ない近現代の「ディアスポラ」が生まれる(「オリジナルディアスポラ」たる、ユダヤ民族が砂漠の民だったようにね)。

"重慶大廈"
バスに乗ってから50分ほどたっただろうか。道路上にせり出した広告のネオンが益々けたたましくなり、バスは九龍島の中心部に突入する。「攻殻機動隊」を見たことがある方ならピンとくるかもしれないが、かなりサイバーパンクな雰囲気だ。そして、今晩の俺の「仮宿」となる尖沙咀(正確にはホリデイ・イン・ゴールデンマイルというバス停)が電光掲示板に表示され、香港では嫌われものだが圧倒的な知名度を誇る宿泊施設「重慶大廈」も同時にアナウンスされる。

バスを降りてきょろきょろしていると、早速「チープホテル?」と声を掛けられる。ホリデイ・イン・ゴールデンマイルのバス亭は「重慶大廈」に程近いところにあるので、旅行者がバスから降りると同時に客引きが群がるのだ。無視して20秒ほど歩くと、難なく「重慶大廈」の入り口を発見。その異様な雰囲気に一瞬たじろぐ。

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12時頃の「重慶大廈」の入り口付近。インド人やアフリカ各国からやってきた人々がたむろしている

到着したのは夜の12時ぐらいだったのだが、「重慶大廈」の入口は鉄格子で閉鎖されていて、そこに一人か二人通れる程度の簡易口が開いている。警備員がじっくりと見張れるように、夜間はわざと入口を狭くしてあるのだ。それにしても圧倒されるのが、客引きの多さだ。入口に大勢アフリカ人やインド人がたむろしており、次々に声をかけてくる。香港に到着してから2時間とたっていなかったが、ここが明らかに香港の他の場所とは違う空気を発していることを即座に感じ取る。九龍側で一番大きい通りである彌敦道(ネイザンロード)にこのような建物が堂々と建っているのだから面白い。
そしてさらに驚いたのは、「重慶大廈」に近づいた途端、インドで嗅いだのとまったく同じ、あのスパイシーな匂いがしたことだ!これは嘘でもなんでもない。まぎれもなくインドで嗅いだあの匂いが、「重慶大廈」近辺には漂っているのだ。

バスの中で出会ったエリートインド人と「重慶大廈」入口にたむろする、大量の客引きインド人。同じインド人にしても随分と雰囲気が違う。この違いを個人的な見解から簡単に説明するとこうなるだろう。日本で報道される、「IT大国」としてのインドには前者が、実際に観光客として旅行した時に感じたインドには後者が当てはまると(断りを入れておくと、これは別にインドの悪口を言っているわけではない)。

「重慶大廈」の中に実際に入ってみると、モワッとした熱気を感じる。入ってすぐの所には唯一夜遅くまで開いている売店があるのだが、そこで店員のおばちゃんと客がもめている光景が目に飛び込んでくる。
その光景を横目に、人混みをかき分けながらさらに奥に進むと、なぜだか長蛇の列が。すぐにわかったことだが、それはエレベータの順番待ちをしている人の列なのだった。
「重慶大廈」はA~Eの5ブロックからなる、安宿雑居ビルだ。このビルにはブロックごとにエレベーターが設置されているのだが、それが毎回かなりの混雑っぷりをみせる。「重慶大廈」は意外と高層(ブロックにもよるのだろうが、15階建てぐらい)で、エレベーターに乗らないとビルの上層にはたどり着けない。このような事情から、上層に行きたい客でエレベーターは酷く渋滞し、時には20分以上待たされることになる。日本ではなかなか体験できない、「エレベーター渋滞」だ。高層の方に安い宿が集まっているのはこのような理由からなのだろう。

さて、到着したこの夜も、エレベーター付近にはアフリカ人、インド人、韓国や欧米から来たバックパッカー、中国人等、多くの人が所狭しと並んでおり、まさにカオスだ。機内で香港娘から受けたアドバイスを思い出し、財布に多少気をつけながら背中を壁につけて、バックパックを前に持って待つこと約10分。6人ほど入れば満杯になってしまう狭いエレベーターにぎゅうぎゅうに詰め込まれ、見知らぬひとと押し合いへし合いしながら、「DragonInn」がある3階へ。エレベータに乗るだけで大変な緊張感だ。

3階につくと、すぐに「DragonInn」の看板が目に付く。意外とオフィスがきれいなのでホッとする。さすがは「上の下」だ(ビルの下層にあること自体が、このゲストハウスが「重慶大廈」では高級であることを表している)。

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「DragonInn」の看板。よく考えたら"ドラゴンイン"というネーミングセンス、凄いですね

「DragonInn」のオフィスに入ると従業員の男性が笑顔で「ハイ」と声をかけてくる。おそらく、空港で電話したときに出たのも彼だったのだろう。それなら話が早いと、まず自分がこのホテルを予約していて、先程空港から電話した由を伝える。すると「待ってたよ」とのこと。彼も英語の発音が相当いい。ただし、この発音の良さは日本人のように「教養」として語学を学んだ結果ではなく、あくまでビジネス上必要だったから自然と身についたものに違いない。

オフィスのデスクの上にはこのゲストハウスのオーナーらしき女性がビジネス臭い満面の笑みを浮かべた写真が飾ってある。その横には最後の香港総督として有名なクリストファー・パッテン氏とこのゲストハウスのオーナーが並んだ写真(「重慶大廈」を視察した際に、彼女が案内人か何かを務めたのだろう)。
次に、宿泊者名簿に名前とパスポートナンバーを記帳。自分が記入した欄の前には日本人の名もちらほら見られる。後でわかったことなのだが、ここはドラマの撮影で訪れたNHKのクルーが宿泊したこともあり、日本人の宿泊客も少なくないらしい。
あれこれと手続きを済ませ、部屋に案内してもらおうと事務所のイスから立つと、「代金は先払いだ」と言われる。レートが悪い空港ではほとんど両替していなかったため、「今日来たばかりだから香港ドルはまだ持っていないんだ」と事情を説明。すると、「日本円をデポジットしろ。明日香港ドルを入手して、宿泊費を払ったら返す」とのこと。この手の客は過去にも何人もいたのだろう、慣れた扱いだ。すぐにバックパックから日本円5000円を取り出してデポジット。すると「オウケィ」と言い、横のキーケースから鍵を取り出し、ついてこいという仕草。
彼について歩いて行くと、まずゲストハウスの廊下に通じているドアがあり、そこを通過。この「第一のドア」にも鍵がきちんとついていて、夜間は締まっており、鍵を持った宿泊客しか通れないようになっている。さらに進むと、廊下の奥には「第二のドア」があり、そこから出ると「重慶大廈」の中庭とでも言うのだろうか、天井のない吹き抜けの空間が広がる。従業員はその吹き抜けの場所も足早に通り抜け、反対側の塔に入っていく。
ここで驚いたのは、反対側の塔の入口のドアの狭さだ。このドアは反身にならないと入れないようになっており、もはやドアの体をなしていない。日本だったら、これはとんだ「設計ミス」だろう。「重慶大廈」にはこのような日本で言うところの「設計ミス」はいくらでもあるのだ。
これは、「重慶大廈」があらかじめきちんとした設計図を描き、その通りに建造物を建てる、「近代的な建築法」とは根本的に異なる感性によってできていることを暗に示している。見る人が見れば、このような「設計ミス」は建築法が「未発達」なために起こっていると、マイナス評価を下すだろう。
しかし、素朴な「進歩史観」を持たない俺のようなヒネクレ人間はそこに面白みを感じる。場当たり的な感性から紡ぎだされた、ツギハギだらけの建物はプロが見ればさぞかし「未発達」だろうが、俺からみればまさに"ポストモダン"なのだ。クロード・レヴィ・ストロース氏の言葉を借りれば、「重慶大廈」は「野生の思考」から、「ブリコラージュ」的感性から建てられたイカした建造物だ。

さらにしばらく進むと、従業員は立ち止まって「ここだ」と言い、鍵を差し込んでドアをあけた。しかし、その部屋には黒人の女性が入っており、奥から「キャー」という声が。「ごめん」と言い、ドアを閉めて首を傾げる従業員。「なんて適当なんだ!」と心の中で呟きながらも、事務所の方に戻っていく彼にまたしばらくついて行くと、事務所近くの、「第一のドア」付近の部屋の前で立ち止まり、「ここを使え」とのこと。エアコンやテレビの使い方を一通り説明し、俺に鍵を渡すと、そそくさと彼は出て行った。

ここで、本来ならば、「部屋を見渡すと~」と部屋の様子を説明したいところなのだが、残念ながらこの部屋には「見渡す」場所がない。笑 あまりにも部屋が狭すぎて、入口から一見するだけで、全体の様子を把握できる。

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入口付近に立って撮影した部屋の様子。その狭さとケバケバしい内装が独特の雰囲気を醸し出している。

入った時の第一印象は、清潔そうではあるが、とりあえず狭くて、相当な圧迫感があるというもの。手を広げると両端に触れられそうなぐらい狭くて、まるで独房だ。それに加え、けばけばしい内装は(行ったこと無いけど)「連れ込み宿」を連想させる。突き当たりの窓から顔を出してみると、部屋は外(先ほど通過した中庭みたいなところ)に直接つながっていることもわかり、何となく怖い。

大学院生という身分なので、多少ペダンティックな感想を語ることを許されるならば、この独房のような部屋のつくりから連想したのは、ミッシェル・フーコーの話だ。フーコーは近代的な「個人」が形成される過程で、人々が個室(「独房」)に張り付けられるようになることを指摘した。村落共同体の中でわいわいと暮らしていた段階から、都市の個室に生活の舞台が移ることが、近代的な「個人」の形成と関係していることをフーコーは指摘したわけだ。
フーコーによる近代的な主体形成の話を「重慶大廈」の部屋から連想することは、さっきまで"ポストモダン"だとか何とか言ってたことと一見矛盾するように思われるかもしれない。しかし俺には、「重慶大廈」の個室はモダンを徹底化した感性の先あるからこそ、非常にポストモダニックなものにみえるのだ。
フーコーが指摘した個室化の例えは、あくまで例えであって、近代社会においては、本当の意味で「個室」に住んでいる人はさほど多くはない。例えば、家族とリビングがある部屋に住んでいればそれは厳密には「個室」に住んでいるわけではないし、自分の部屋以外にもプライベートな、「親密圏」があることになる。また、極端なことを言えば一人暮らしをしていたとしても、トイレや風呂場は構造上ドアでしっかりと隔てられてあるのが一般的で、そこは厳密な意味では個室ではない。しかし、俺が宿泊した「重慶大廈」の部屋は本当の意味で個室の中の個室である。この個室から得られるプライベートな空間はせいぜい自分の体から2~3メートルの場所にとどまる。プライベートな空間が自分の体にべったりと近接した地点にしか、あるいは自分の内面にしか見出せないこと。このことは人類史上異例のことなのではないだろうか。俺はこの場所に2泊しかしないが、このような場所に一定期間「住む」人がいるということが信じられない。

一般的な近代家族にもなかなか見出すことができない、徹底した個人主義的空間。このような空間は近代的な生活のあり方を徹底させ、その極限にあるという意味で、俺には"ポストモダン"にみえる。しかし、先ほどの反身にならないと入れないドアと同じように、"モダン"を志向する人々にとってはこのような空間も「未発達」なものにみえるらしい。機内で一緒になったOLが「重慶大廈」に泊まるという感性を理解できなかったのも、香港郊外でモダンライフを生きる彼女達が、「重慶大廈」の狭い部屋に"ポストモダン"ではなく「未発達」な要素を見出していたからなのだろう。「非近代」的な要素は、見方によって、「ポストモダン」に見えたり、「未発達」に見えたりするのだ。

バックパックを置いても部屋ではなかなかゆっくりできず、多少怖かったが、深夜の「重慶大廈」散策に出かけることに。この時、初めて階段に出てみたのだが、途中で目が血走った人に出くわす。多少恐怖心を覚えながらも、階段を降りていくと簡単に2階に抜けられることがわかる。「エレベーター渋滞」に巻き込まれずに「DragonInn」から「重慶大廈」2階に降りられることは、嬉しい発見だ。
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「重慶大廈(チョンキンマンション)」Aブロックの階段。夜間は人気がないので怖い

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むき出しになった配線

「重慶大廈」の2階にはインド人やアフリカ人向けの携帯電話ショップ・飲食店・両替店・雑貨屋等が立ち並ぶ。この時既に深夜の1時を回っていたので、当然店はほとんど閉まっている。唯一開いていたカレー屋の前を通ると、「明日食いに来い」みたいなことを話かかけられ、店の案内カードを渡される。
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深夜1時頃の「重慶大廈」2階の様子

「重慶大廈」2階と1階は中央にわかりやすい階段があるおかげで、エレベーター抜きで自由に行き来することができる。
その中央階段で2階から1階に降り、その勢いで人込みを掻き分けながら外へ。すると、「重慶大廈」の入り口付近が何やらざわついている。見ると、「重慶大廈」の前にパトカーが止まっており、数人がしょっ引かれている模様。この時ようやく「ベリーデンジャラス」を実感。「重慶大廈」が政府から目の敵にされている関係で、よく警官が立ち寄るとは聞いていたが、目の当たりにした治安の悪さに思わず苦笑い。

さて、この「重慶大廈」の前には大きな横断歩道があり、ネイザンロードを渡ることができるようになっている。横断歩道には信号機がついているのだが、この信号機が青になると「コン、コン」という歯切れのいい音を鳴らす。後でiPodを持ってきて、この音を録音することに決める。
横断歩道を渡ると、反対側から「重慶大廈」全体を撮影。

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ネイザンロードの反対側から撮影した「重慶大廈」

次に、その晩はまだ何も食べておらず、空腹を覚えたので、尖沙咀駅付近のマクドナルドへ。価格も店内の様子も特に日本と変わらぬ感じ。席に座って一人でバーガーをかじっていると、多少高ぶっていた気持ちも落ち着いてきて、香港に来たんだ、という実感が湧いてくる。これから自分の足で香港の様々な場所に出かけて行って、いろんなものに触れることができるんだと思うと、疲れも全く感じない。

マクドナルドの帰りには、セブンイレブンに入って海外旅行の必需品、ミネラルウォーターを購入。「ファーストフード店」と「コンビニエンスストア」。妙に中華中華したものを追い求めるよりも、こういうところの方が「香港」なのかもしれないな、とふと思う。

「重慶大廈」に帰る前に、ちょっとだけ足を延ばして高級ホテルであるペニンシュラホテルの前まで行ってみる。ロビー前にリムジン(?)が乗り付けているのが見える。ロビーの中も見学してやろうかと思ったが、追い出されても嫌だなと考え、思いとどまる。
高級ホテルを眼の前にしても、不思議と「ベリーデンジャラス」な「重慶大廈」に泊まる我が身を憂う気持ちは起こらない(もちろん金銭的にペニンシュラなんて泊まれないけれど)。やはり俺はヒネクレ者なんだろう。

「重慶大廈」の部屋に帰ると「Shanker」ノートに簡単な日記を書き、身辺整理。
明日の朝、早速信号機の音を録音しようと思っていたため、新宿のヨドバシカメラで購入したiPodにiTalkproを差し込んで、起動するか確認してみるが、うまくいかない・・・ あれだけ苦労して「(サイトシーイングではなくて)ノイズリスニング」の準備をしていたのに何たる失策。初日の最後の最後でヘコまされる。
一日のうちに何度このような浮き沈みがあっただろうか。平等にいいこともあるし悪いこともある。やはり旅は人生の縮図なんだろう。

シャワーを浴びて2時を回ったころ、スウェットに着替えて就寝。だが、部屋の圧迫感のせいか、なかなか眠りにつけない。
壁が体にべったりくっついてきて、セーフティゾーンが周りに全くないというこの感覚。これに気がついた時、刑務所の独房が、近代国家のルールに則れない人々(敢えて罪人とは呼ばない)に徹底して"近代"を教え込む仕組みがわかった気がして、ゾッとしたのだった。

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"トランスポーテーションの街"
バスの窓から香港の町並みを眺めると、高層の建造物が多いことがよくわかった。高くそびえるスカイスクラッパーは、マモニスムが築いたバベルの塔か、人口密度が高いが故に居住空間を上に上に求めていった結果か。飛行機から鳥瞰していたときとは違って、無機質な高層ビル群を前に、妙な寂しさも覚える。「現代の『バベルの塔』を数多く要する香港の人々も、ディスコミュニケーションにあえいでいるのだろうか」などと、新しいものに触れたとき特有の興奮状態でフィールドノート(そんなに大げさなものではないのだが)に書き留めていると、急に隣に座っていたインド人の男性に「お前はインドから来たのか?そのノートはインド製だろ?」と話しかけられる。今使っているフィールドノートはインドを旅しているときに購入したもので、表紙に「Shanker」と書いてある。彼はそれをみて尋ねてきたのだ。

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インドで購入した「SHANKER」ノート。ここんところ旅行をともにしている。


「いや違う、俺は日本からきた。これは去年インドに旅行に行ったときに購入したものだ」と答えると、すかさず「インドはどうだったか?」ときいてきたので、「刺激的だった。面白い国だね」と言うと、「サンキュー」との答え。そして、その後彼は何も言わず、手元の電子端末でやっていたゲームに視線を戻していった。ピシっとスーツを着こみ、清潔な身なりをしてIT機器をいじくっているところからみると、彼はインドから香港に働きに来ているエンジニアなのだろう。英語の発音もよく、聞き取りやすい。典型的なエリートインド人だ(香港とインドはイギリスの統治下にあったという共通点を持つ。インド人が多く香港に住むのもこのことと無関係ではないだろう)。
途中、「油麻地」辺りで彼はバスを降りたので窓越しにしばらく見ていると、目が合い、向こうから手を振ってきた。俺も「ドーモ」みたいな感じで軽く手をあげて別れる。機内といい、バスの中といい、やはり旅先では思いがけない出会いがあるから面白い。

俺は市街地や旅先でのちょっとした出会いやすれ違いを描いた映画が好きだ。この手の映画では、良く乗り物の中が舞台になる。例えばその典型が「タクシー」だ。スコセッシの「Taxi Driver」、ジャームッシュの「Night on Earth」。俺はこの二本の都市を舞台にした映画が大好きなのだが、これらの映画ではタクシーという乗り物が市街地における人と人とのさりげない出会いやすれ違いの舞台に選ばれている。タクシーのような乗り物を舞台にして物語が展開されるのは、そこでいろんな人を出会わせるための「作劇術」だとも言えるが、俺にはそれ以上のものと感じられる。タクシーや乗り物、あるいはそこでの出会いには都市の様々なエッセンスが凝縮されているからだ。先の飛行機やバスの中での出会いから俺が読み取ったものも、このちょっとした都市の生活感だったのだと思う。

香港はバス・メトロ・フェリー・トラム・巨大エスカレーター・乗用車・バイク・飛行機・ヘリコプター、そしてタクシーと何重にも交通網が張り巡らされた「トランスポーテーション(交通機関)の街」として名高い。その中でも「金を払ってパーソナルなスピードを手に入れる」タクシーは、まさに都市を、あるいは都市における人と人の関係を象徴する交通手段である。だからこそ、都市を舞台にした映画にはそこで暮らす人々の生活を描くために、タクシーがよく登場する。

現在の香港のような、交通機関で「移動すること」を前提とした生活は、農耕をしながら一ヶ所に定住し続けてきた村社会の人間の生活とは大きく異なっている。交通機関が十分に発達していない社会に住まう限り、人々は同じ人間たちと安定した日々を過ごし、「ストレンジャー」と出会う機会などほとんどなかっただろう。都市の喧騒から遠く離れ、非流動的な「村社会」に定住していた人々は、同じ社会内の人間と死ぬまで付き合うことが当たり前で、だからこそ自他の区別がままならないほどに相互浸透した社会を築き上げることができたのだ。このような社会は「ストレンジャー」を徹底的に排除することで成り立っている。当時の「村八分」への恐怖感は、このような共同体の強固な連帯感に「ストレンジャー」の入り込む余地が全くないことを物語っている。

しかし、現代の都市部に生きる我々の人間関係は、「ストレンジャー」とのドライな関係がほとんどで、そこには信じられないぐらいの「出会い」と「別れ」の瞬間が積み重ねられる。むしろ都市生活者は「村社会」や安定した「トライブ」に住まう人々と異なり、人と「別れ」を前提としない付き合い方をする方が難しい。その意味では、交通機関内やお店での金銭を介して行われる、今後二度と話さないかもしれない人達との「別れ」を前提にしたコミュニケーションの一つ一つが、都市部の「すれ違い型」の人づき合いの縮図だ。

僕らが交通機関内や店内で誰かとすれ違ったり話したりする場合、大抵それは寸分先に訪れる「別れ」を前提としている。しかし、我々はその「別れ」をもはや惜しいとも思わない。例えば、電車に乗っていて同乗者に対して「こいつらとはもう一生会わないかもしれんな」などと考えたり、偶然訪れた店の店員が少し美人だったからといって「この人とあと10分足らずで別れなければならないのか」等と考えていたら、神経がすり減って、日常生活もままならない。

乗り物の中は、このような都市部での常態化した「出会い」と「別れ」が集約された、人生がすれ違う、の「交差点」的な場所となる(店や路上もその舞台になり得ると思うが、そこは乗り物のような「移動する場」よりも、もう少し安定的な関係を築きうる可能性が残されている。それは店には「お得意さん」がいるが、交通機関はいくら利用しても「お得意さん」にはならないことからもわかるだろう)。

通勤や通学の際に毎朝同じ電車やバスに乗る方は、毎日同じ人たちと顔を合わせることもあると思うが、タクシーではそのようなことも起こりえない。タクシーは、一番「すれ違い」度が高い交通機関なのだ。そのくせ、運転手とは車内で一対一になるもんだから、気まぐれに話をしたりもする。俺には、そんな近そうで遠い人間関係が、どうも都会での人付き合いに似ているように思えるのだ。
例え偶然飛び乗ったタクシーの運転手と、気さくに言葉を交わしたとしても数分後には別れが訪れ、その人とはもう一生会いもしないし口も聞かない。都心部の孤独な人間同士が一時どれだけ気の置けない仲になり、同じ方向に歩いていたとしても、そこには突如として別れが訪れ、その後死ぬまで一言も口を利かないことがあるように。

こう考えると、「トランスポーテーションの街」である「香港」全体が、一人一人の孤独な人生が交差する場所にみえてくる。そしてこの街は、(少なくとも俺にとっては)もうひとつのトランスポーテーションの街、「東京」を映し出す鏡でもある。

「別れ」が常態化した社会に生きるとはどういうことなのか。俺自身が東京の生活に常にストレスを感じているからこそ、ここ数年自然とそのことについて考えてきたように思う。そして、到着した夜のトランスポーテーションの街「香港」の空気は、その思考をさらに加速させずにはおかなかった。俺にとって、今回旅した「香港」は「東京」でもあって、「香港」について考えることは「東京」について考えることとさほど遠くないのだと、強く思う。
「東京」と「香港」に住んでいる人間の価値観や感じ方には、どこか似たような「病(いい病もあるかもしれない)」がある(この後も書いていくつもりだが、違いもたくさんあるけど)。そして、都市部に巣を張り、レスリー・チャンを殺したかもしれないこの「病」こそが、俺が何かについて考えたくもないのに考えなければならない根本原因なのだろう。それはまるで、当時の交易・交通の中心点であった「イオニア」が哲学的思考を生んでしまったように。
俺はその時、なぜ交易の中心点であった「イオニア」で哲学が生まれたかを身をもって教えられている気がした。恐らく、何もかも移り変わっていく交易の中心点にあって、「変わらないもの」を探し求めることが哲学的思考のはじまりなのだ。それは現代の都市部にあって「変わらないもの」を探し求める俺たちの思考となんら変わりはしない。「変わらない愛」「やまない名声」「永遠の命」を求める気持ちは、「水」「火」「空気」「アペイロン」を移ろい行く現象の根底に横たわる普遍性として捉えた原始哲学的思考とよく似ているように俺は思う。人は安定した何かからこぼれ落ちて、「流れ」に投げ出されたとき、不幸にも初めて何かを考えるのだ、俺はエアポートバスに揺られながら漠然とそのような思いを巡らせた。

今週の土曜日にSEGWEI2回目の企画をやります!今回の企画名は"RENDEZVOUS POINT"です(ちなみに、前の企画は"ROUGH CONSENSUS"でした。覚えてる方はいるかな?)。この企画名には、普段はそれぞれ違うやり方で自分達なりの表現を追及しているユニットが、この日だけは一堂に会する、というような意味を込めました。
どのアーティストもやり口は違うけれど、ヤバい音を出してるという意味では共通してて、必ずや楽しんでもらえるはずです。お暇がある方は是非よろしくお願いします。

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"エクソダスフロム日本"
無事にiPodを購入して新宿駅に戻ると、まずそこらへんの駅員に成田エクスプレスの乗り場を聞く。すぐに教えてくれたが、意外とその場から距離があるようで、5分程かかりますよ、とのこと。既に出発時刻の5分前だったので多少焦り、新宿駅構内を走る。旅の出だしから何とも慌ただしい。これから道中幾度も痛感させられるが、旅は本当に「人生の縮図」なところがある(『ダージリン急行』みたいにね)。旅の出だしから慌ただしくしているこの状況も、どうやら俺の普段の生活を反映しているようだ。

成田エクスプレスに乗ると、すぐに到着時刻を確認。すると、ぴったり出発の一時間前に成田空港に到着することが判明。なんとかなるだろう、とは思ったものの念には念を押して、104に電話をかけて番号を調べた後、ノースウェストの事務所に電話を入れる。すると女性が電話に出たので、「カウンターへの到着が出発の一時間前になってしまうのですが、平気でしょうか」と尋ねると、「1時間前でカウンターを締めるので搭乗できない可能性があります」との冷たい返事。乗れなかった場合は次の飛行機でお願いします、とのこと。当たり前だが、このような最悪の事態は絶対に避けたかったのでなんとか成功率を上げようと、様々なことを尋ねてみる。まず、ノースウェストのカウンターの場所と登場手続きに必要なものを聞く。するとノースウェストのカウンターは4階北ウィングCというところにあることが判明。とりあえず、電車がついたら急いでパスポートを持ってカウンターにいらしてくださいと言われる。電話で必死になって食らいついていたので多少同情してくれたのか、最後に「お名前を伺っていいですか」と声をかけられ、「カウンターに伝えておきます」とのありがたいお言葉。行きのフライトに間に合わなかったなんぞということになれば、「明日から、香港いってくるわ」と気張って言い放った奴らに面目が立たない。笑

成田エクスプレスを降りると例のカウンターまで猛ダッシュ。何とか間に合う。職員にはそんなに急がなくてもいいのにぐらいの表情をされて、かえって肩すかしをくらう。間に合ったことをよしとしなければならないのに、何を期待しているのやら。
飛行機に搭乗すると、回りは空席ゼロの息苦しい雰囲気。時期的なものなのかわからないが、日本人観光客よりも香港に帰省する方のほうが多いようだ。香港までは偏西風にのって約4時間。普段飛行機に乗っている間は睡眠をとることが多いが、今回は時間が時間だったのであまり眠れず、終始『地球の歩き方』と格闘。パッカーの間では「ダッせー、ロンリープラネットじゃないのかよ。」とささやかれがちな「歩き方」だが、侮るなかれ。以外と細かくて、読み応えがあるのだ。特に、香港のような治安がいい場所に行く場合は「歩き方」で十分だ。

普段あまり旅をしない方は、なんで「治安」と「歩き方」が関係するのか、と疑問に思われるかもしれないが、これが大いに関係する。例えば、インドで「歩き方」を持って歩くのは、「あいつはカモれる」と言って歩いているようなものなのである。実際、インドで観光客をだまくらかそうとしてる現地人の多くは自分の「歩き方」(その多くは観光客が置いていったものだろう)を持っていて、中にはそれを元にだましてくる奴もいる。これに比べて危険度がインドの1/100ぐらい(自分比)の香港では、「歩き方」を持って歩いていても、日本人パッカーになめられる以外何も問題はないのである。そもそも、俺はパッカーではない(「ライフタイムパッカー」かもしれないけど)から、そんなことは全く気にならない。

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乗る予定のなかった、成田エクスプレスの車両内。高いだけあって、非常に奇麗。インドから帰ってきたときにも乗ったが、汚いインドの寝台車とのあまりの違いに逆に頭が痛くなった覚えがある。(笑)

"ベリー・デンジャラス"
ところで、機内の横の席には香港人の女性二人組(学生かと思ったがOLだった)が座っていた。どうやら日本をあちこち電車で見て回った帰りらしい。俺があまりにも熱心に「歩き方」を眺めていたからだろう、いろいろと旅のプランについて尋ねてくる。どのくらい滞在するのか、香港に行くのは何度目か、お前は学生か、等当たりさわりのないことを会話した後、今夜はどこに泊まるんだ?との質問。今夜は、香港一の安宿雑居ビルとして有名な「重慶大廈(チョンキン・マンション)」に泊まることになっていたので、そう答えると、すごい(悪い)反応!彼女等によると、そこは「ベリー・デンジャラス」で、財布に気をつけたほうがいいとのこと。噂には聞いていたが、ここまで香港人の評判が悪いとは思わなかった。ついでだから、あなた方は重慶大廈行ったことがあるか、と聞いてみたが、一回だけ重慶大廈内のカレー屋に入ったことがあるだけとのこと。俺は学生であまりホテルに金をかけられないので、重慶大廈に泊まると言うと、かわいそうなものを見る目で見られる。もちろん俺が初日の滞在先に「重慶大廈」を選んだのは金がないという事情が大きい。しかし、それだけか、と言われるとそうとも言えない。ちょっとした冒険心がそこにはあるからだ。しかし、小奇麗な格好をして日本を旅する香港娘二人組には「重慶大廈」に泊まるのは、貧乏でかわいそうなことと全く等しく見えるのだろう。そう彼女たちにとって建物が「汚いからいい」、「古いからいい」なんていう感情はヒネクレでしかないのだ(「廃墟」等の汚い建物を好む風習は、18世紀~19世紀にかけて西欧で起こったようだが、この感性と一部の現代人の汚い建造物好きのつながりを考えるのは今後の課題といったところか)。

その後、しばらく当たり障りのない話をしていると、次第に食べ物の話になる。日本から香港に赴く旅行者の多くが「グルメ」を目的としている以上、この話の流れは非常に自然だ。香港娘二人組によると、「香港に行く日本人女性のほとんどが亀ゼリーを試す」とのこと。俺の場合、うまいものを食べに香港に行くという感覚は皆無に等しかったが、いい機会だと思い、オススメの香港B級グルメを聞いてみることに。しばらく「歩き方」の食べ物の欄を見ながら、彼女達はしばらくああでもないこうでもないと二人で話し合っていたが、「法蘭西多士(通称、西多士)」というフレンチトーストや「蛋撻(ターンダッ)」と呼ばれるエッグタルト(ここにイギリスやポルトガルの風習が見られて興味深い)、それに茶餐廰(チャーチャンテンと読む。日本でいうところの喫茶店みたいなものか)で「乾炒牛河(Fried Beef Rice Noodle)」を食べるといいと教えてくれ、奇麗な字でノートにメニューを書いてくれる。所謂観光客向けの割高な中華料理ではなく、庶民が食べるもののなかでお勧めを教えてくれたのが嬉しかった。実際香港では、彼女達に教わった食い物を中心に生きていくことになる。

そうこうしているうちに、飛行機が着陸態勢に入る。香港には現地時間で大体10時ぐらいに着く予定で、既にあたりは真っ暗だ。そしてしばらくすると、この真っ暗な景色の中から香港の高層ビル群の明かりが現れる!噂には聞いていたがこれはすごい。「ネオ・トーキョー」か「第三新東京市(あれは地下都市か)」か。金色に輝くビルからなる夜景を眼の前にして、香港娘もどことなく誇らしげな様子。飛行機が無事着陸すると、色々と教えてくれた二人にお礼を言って別れ、遂に香港入り。香港に降り立ってまず感じたのは、湿気がものすごいということだ。これでも香港にしては随分と涼しい方らしいが、日本で言う「熱帯夜」のような感じに近い。これがほぼ毎日続くのだから、香港は「熱帯夜」が常態化した場所だと言える。

空港には銃を持った警官が立っていて多少ピリピリした空気が漂っていたが、基本的にはよく整備されており奇麗。入国審査を終えるとまず両替店へ直行。これはあらかじめ調べがついていたことなのだが、空港の両替店はレートが悪い。なので、ここではあまり香港ドルに換えず、最低限市街へ出られる金額を調達することに決めていた。また、空港から市街に出るにはバスを利用する予定だったので、なるべく細かいお金が欲しい(バスの中では両替できない)。そこで、女性職員に1000円を差し出して「スモーラー・ビルでくれ」と言ってみる(これもインドで学んだやり方だ。インドでは釣りをくれないところも多いので、細かい金をもっていないと大変に損をする)。するとかなり不機嫌な顔で「Why?」という答えがかえってくる。これには驚いた。日本ではこんなことは滅多にありえない。「お客様第一主義」を標榜する日本型資本主義においては、お客の側がサービスを受ける際に何かの説明責任を負うことなどほとんどない。もし、客の要望に答えられない場合でも、表面的には申し訳なさそうなトーンで断りを入れるのが当たり前になっているのは周知の通りだ。この雰囲気ではいくら素晴らしい答えをでっちあげても「スモーラー・ビル」はくれないだろうと判断し、早々に諦めて、「細かくない」香港ドルを渋々受けとる。これではバスの代金を過不足なく払うことはできないが、しょうがない。

空港に隣接したバス停に向かう間、携帯電話を「海外モード」に切り替え、今度は重慶大廈内のゲストハウスに電話。いくら治安のよい香港でも、夜遅くに宿を探し始めるのはかなりリスキーだと思ったので、安宿をあらかじめ日本から予約していたのだ。あまり知られていないが、重慶大廈内にはその気になれば電話であらかじめ予約を取れるゲストハウスがいくつもある。今回宿泊したのは、重慶大廈の中ではおそらく「中の上」か「上の下」ぐらいのランクに属する「DragonInn」というゲストハウス。日本でのやり取りで、空港についたらまず確認の電話を入れることになっていたのだ。電話をかけると妙にテンションの高い男性の声。そして、いまからそっちに向うから事務所明けといてね、みたいなこを話して電話をきる。続いて、市街へ向かう「A21」のエアポートバスに搭乗。噂には聞いていたが、2階建のエアポートバスはデカイ!一抹の不安があったので、いざとなればすぐに降りることができる一階の座席に座り一路、九龍の尖沙咀へ!

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尖沙咀経由、紅磡(ホンハム)行きのA21のエアポートバス。デカイ。

“出発”
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ビクトリアピークから撮影した香港の夜景。FUGAZIの大好きなアルバム『END HITS』のジャケットにも香港の夜景は使われている。

午後二時過ぎ、まだスペースに随分と余裕があるバックパックを右肩にかけ、意気揚々と出発。俺の相棒、黒いモンベルのバックパックを背中に感じるのは約1年振りだ。なぜだか妙にフワフワしている自分がいる。ところが出発後間もなく問題が浮上。前日に自宅から成田空港までの道程と到着時刻を調べ、プリントアウトしておいたのだが、昨晩の演奏(前日にライブがあった)でヘトヘトに疲れた状態で調べたせいか、到着予定時刻の設定に失敗している!本当は出発の2時間ほど前の4時頃に成田空港に到着する予定が、1時間違えて、5時頃に着くように設定してしまっていたのだ。このままでは出国すらできない!ということで予定外だが急遽新宿から成田エクスプレスに乗ることに。しかし、ここで焦っては元も子もない。気持ちを何とか落ち着けて京王線で新宿へ。

新宿へ着くと南口のJRのカウンターに直行し、次の成田エクスプレスの時間を調べ、チケットを購入。いきなり予定外の出費である(3000円ぐらい)。成田エクスプレスの出発まではまだ15分の余裕があったので、出国前にやらなければならないもう一つの用事をこなすために南口のヨドバシカメラへ駆け込む。その用事とは、フィールドレコーディング用に、第五世代のiPodを購入することであった。

今回の香港旅行を決行した主だった理由は前回のエントリに書いた通りだ。しかしこれに加えて今回の旅行には、香港の環境音やノイズをレコーディングしてみたいという「裏ミッション」があった。そのために、下部に装着するだけでiPodに直接音声をレコーディングできる「iTalkPro」や、フィールドレコーディング用の耳にかけて使うバイノーラルマイクをあらかじめ用意していたのだ。しかし、旅行直前までかなり忙しくしていたため肝心の「iTalkPro」に対応したiPod本体を持っていなかった。「iTalkPro」の説明書によると、対応しているのは第5世代のiPodと、第2世代のiPodnano。これを入手しなければフィールドレコーディングを決行することはできない。なので、出国前に対応した型のiPodを購入するという手筈になっていたのであった。

ヨドバシに駆け込むと、階段を駆け上がりオーディオコーナーに直行。少しの時間も惜しかったので、直接店員に、「iTalkProに対応した、第五世代のiPodは置いてますか?」と息を荒げながら聞く。すると、「第五世代はもう置いてません」との答えが返ってくる。オーディオコーナーの店員は、iPodのバージョンに詳しいのだろう、そんな古い型あるわけない、とでも言いたげだ。しかし、よくよく話を聞いてみると、「iTalkPro」は第六世代以降のiPodClassicにも対応してますよ、とのこと。これでフィールドレコーディングを決行できる!ということで、直ぐに80GBの黒いiPodをかなり無理して購入。これも「裏ミッション」を決行するための先行投資である。

少し話が脱線するが、今回、このようにフィールドレコーディングをしてみようと思い立ったのは、インド旅行中の様々な経験があったからである。インドの市街は眠らない。迷惑なことに奴らはだいたいスピーカーで説法やら何やらを一晩中流しているいるので、夜になっても市街が静まり返ることはないのだ。早朝は早朝で、オートリクシャーのクラクションの音がうるさいし、一体奴らはいつ寝てるんだろうかと勘繰りたくなる。しかし、しばらく経つとその適度なノイズが気持ち良く思えてくる瞬間があるから不思議だ。その気持ちよさは漠然と「何かに包まれている」という感覚から来る。よくノイズのアーティストが言うように、この快楽はノイズが「母胎」を想起させるところから来るのかもしれない。

このような話は、普段からある程度の騒音に包まれた場所で暮らしている方にはピンとこないかもしれない。今俺が住んでいるところは典型的な東京の「サバービア」で、意図的にノイズから隔離された場所にある。だから例え窓を開け放して寝たとしても、あまり大きな音は聞こえてこない。このような環境を当たり前としてここのところ暮らしていたから、インドで適度なノイズに包まれながら寝たとき、それが逆に新鮮に思えたのだ。そして有史以来、人は、今俺が住んでいるところぐらい静かな場所で寝ることはなかったのではないかとすら考えるようになった。
自然と共存すれば自然の音が聞こえる。
村に住めば村人の生活音が聞こえる。
街に住めばバザールの喧騒が聞こえる。
しかし、サバービアに建てられたマンションの一室には自然の音も生活音も街の音もほとんど聞こえてこない。このことが人に、あるいは俺自身に及ぼす影響は案外大きいのかもしれない。このようなことを考えるようになってから、俺は自然と環境音に興味を持つようになった。

またさらに環境音について突き詰めて考えると、人は普段よく写真を撮るのに、なぜ音は録らないのかという疑問に突き当たる。例えば、観光を"Sight Seeing"と言うことからもわかるが、通常人は旅において、「何を見るか」、あるいは「何を撮るか」を中心に据えている。観光地に行って写真を撮り、目で見たものを記録に残すという行為が、旅と等しいとさえ考えられている節もある(写真を撮るのが嫌いなわけではないが)(注1)。しかし、個人的には、音や匂いや体感温度、またそれが織り交ざった何とも言えない雰囲気こそが旅の醍醐味だと思っている。人は決して視覚のみに頼って周囲の雰囲気をつかんでいるのではない。想像以上に音や匂い、それに気温や湿度が雰囲気に「色づけ」している。その意味でも、今回の旅は"Sight Seeing(観光)"ではなく、"Noise Listening(聴音?)"にしてやれば面白い、そう俺は考えていた。

香港の市街はどのような音に包まれているのだろうか。そして、香港の宿で俺はどのような音に埋もれて眠るのだろうか。このようなことを考える度になぜか妙に気分が高揚した。

(注1)
先日、蓮實重彦とフリードリッヒ・キットッラーが出演したシンポジウムに行く機会があった。そこで蓮實は「未だすべての映画はサイレント映画の延長線上にある」というようなことを繰りかえし述べていたと思う。この主張では、つまるところ、映画においては「視覚」の要素が今も昔も優先されているようにみえるということを述べたかったようだ。また、映画以外にも、ステファン・マラルメという詩人について、その写真は残されているにもかかわらず、(詩人にとってみればより重要だと思われる)肉声が残されていないということを述べ、そこから「聴覚」に対する「視覚」優位がくみ取れると主張していたと思う。しかしここからが面白いのだが、蓮實によるとこの偏向は単純に我々にとって「視覚」の方が大事だからではなく、19世紀~20世紀にかけて「音声」こそが最もかけがえのないものと思われてきたということの裏返しだという。つまり、西洋近代の「音声中心主義」こそが、内なる声の複製を拒むが故に、先のような(一見「視覚優位」の)現象を引き起こしたと考えられうるのではないか、そう蓮實は主張する。
もちろんこの主張が正しいかどうか、ここでは判断できない。ただ本文で書いたように、写真を撮るということと音を録音するということの偏向は確かに存在していて、これは以上のような議論とも必ずや連続している。素朴に考えても、「音を録音する」ということは何かスパイのように悪いことをしているようなイメージを持たれがちなのに対して、「写真を撮る」ということにはあまりネガティブイメージがない。この偏向は一体何なんだろうか。考えてみると非常に面白いと思う。


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